アドラー心理学に出会って本当によかった

アドラー心理学とは、オーストリアの心理学者であるアルフレッド・アドラーにより提唱された考え方です。
実はヨーロッパではユングフロイトとならぶ3大巨頭として心理学の発展に貢献したのですが、日本ではまったくというほど認知されていませんでした。
ところが『嫌われる勇気』(岸見 一郎・古賀 史健著)という書籍のヒットをきっかけに、日本で広くしられるようになりました。
僕がはじめてアドラーを知ったのもこの時でした。

ユングフロイトは読んでいたもののなぜかあまり自分にフィットしませんでした。
ところがアドラー心理学を読んだときに、すんごく共感したんです。
これを言ってはおこがましいのですが、自分が薄々考えていたことを理論だててはっきりと書いてくれたのがアドラーだったからです。
マジで若い頃に出会いたかったです。
脳のもやもやがスッキリとはれたような感じになりましたから。

もしも、何を基準に生きたらいいかわからない、生きてるのがつらい、死にたいという人がいたら、僕はまずは騙されたと思ってアドラーを読んでみろといいたいです。

またアドラーが知られるきっかけになった書籍の「嫌われる勇気」ってタイトルもいいですね。
アドラーって他人の目を気にしすぎる日本人にこそドンピシャの心理処方箋なんじゃないかと思います。

アドラー原因論ではなくて目的論だといわれます。
これだけだと何をいってるかわからないし、わかりにくいですよね。

わかりやすく言えば、例えば引きこもりの子がいて、原因論だと引きこもりになった原因はイジメられたからと考えます。
それはそれで正しいかもしれないんだけど、原因が分かったとしても過去は変えられないので今更どうすることもできないわけで。
目的論では自分が引きこもりたいという目的のためにそうしてるということになるのです。
通常だとたとえ原因がイジメでないにしろ、何かしらの原因があるはずだと考えるのは自然ですよね。
でも同じようなイジメに会ったからといって皆が皆引きこもるわけではないと。
中にはそのイジメや悔しさをバネに人生を変える人もいるわけです。
別に原因論が間違いといってるわけではないですよ。
僕が前にいった原因を他人に求めるのか、それとも自分に求めるのかという視点も似たようなものです。
自分以外のものに原因を求めるのが原因論
自分に原因を求めるのが目的論といったところかな。(あくまで僕の解釈です)

また別の言い方をすれば原因論が過去を向いてるのにたいし目的論は未来ってとこですかね。

もっとわかりやすくしましょう。
お前にとって居心地がいいからいつまでも引きこもってるんだろう。
引きこもり続けるのはおまえの目的であり目標なのだろって。

まずはそこを明確にしていくのがアドラー心理学なのかな。

まあ、なかなか奥が深いので、詳しくは本を読んでください。

具体的に生活面で利用するなら、以下のテーマを自分に課してみてください。
「褒めない・叱らない・教えない」
まあ、ちょっと極端すぎないかと思われるかもしれませんが、けっこう使えます。

教えすぎると鬱陶しいと思われたり、本人の成長を阻害します。
聞かれたことに少しだけ答えるぐらいでちょうどいい。
叱るという行為はあまり碌な結果にならない。
褒めないというのは意外だけど、よくよく考えてみると褒めるという行為自体が支配を伴っている。
よくいわれる誉め言葉の「さしすせそ」もそうですよね。

アドラーは褒める代わりに勇気づけやありがとう等の感謝の言葉を言った方がいいと言います。

ぶっちゃけアドラーは社会と調和してくらすこと、仲間意識、自分の存在意義を基本的な目的として構築されているものです。
その目的を達成するための行動や心の持ち方の指南書といったところなのでしょう。

コスパシンプルライフとも相性がいい。

上記の3つのルールを見て何もできないじゃんって思ったかもしれません。
そう実はたいして何もしなくていいんです。
会社でもやたら部下に関わろうとする人がいますが、考えを転換してください。
関わらないほうが部下からの評価が高くなったりしますから。
部下は早く帰って彼女と会いたかったり、ゲームしたかったりと自分の時間が持ちたいのに上司に飲みに誘われたらどうでしょう。
部下はニコニコして「はい、よろこんで」といいますが、たいていの場合イヤイヤついてきてるんですから。
ちなみに余計な飲み会など一切ない今の環境は僕にとって最高なんです。

コロナで余計なミーティングや会合がなくなってよかったという意見もけっこうあるのではないでしょうか。
ほら、なくたって全然困らないじゃないって。

日本の企業の生産性の低さってこのあたりにも理由があるのではないでしょうか。