人生の優先順位(自己中心主義)

利己的な遺伝子という書籍があったが、動物は基本利己的なのだと思う。

人間も動物だから遺伝子の利己的な枠組みからは逸脱できないものだとは思う。

利己的だからそれを制御、コントロールするために社会の仕組みが出来上がっていったのかもしれない。

戦国時代なんてボスざる同士の戦いみたいなもんだし、第二次世界大戦だって一人の国家的詐欺師にみんな騙されておっぱじめたのかもしれない。

人間なんてほっといたら必ず核ミサイルのボタンを押しちゃって皆あぼーんってなってしまうものかもしれない。

ちょっと話が壮大な方向に行ってしまったが、自己中心主義とは自分のことをまず第一に考えるということです。

表現が難しいのですが、よく言われるよ言うな自己中人間とは違うんです。

そうですね~こういえばわかるかな。

目線の問題なんです。

自分から他人を見ているか、他人から自分をみているかの違いとでもいえばいいでしょうか。

他人の評価ばっかり気にする、他人に良い人と思われたい、他人に好かれたいというのは全部他人中心主義に陥ってるということです。

もちろん他人にどう思われるかというのも大事なことではありますが、他人目線より自分目線が優先されなければならないということです。

学校が悪い、先生が悪い、世間が悪い、世の中が悪い、あいつのせいだ、親のせいだ・・・・上げていけばきりがありませんが、これも全部他人目線です。

勉強ができないのは先生の教え方が悪いせいだといくらののしっても成績がよくなることはありませんよね。
100%変わらないとはいいきれませんが、自分が変わる方が簡単ということです。

いじめっ子がいたとしてそいつらをいくら変えようとしても無駄なことが多い。
他人を変えようとする行為はとにかく難易度が跳ね上がるんです。
ゆえに犯罪者が刑務所に入ったから更生するなんて奇跡がおきたぐらいのことと言ってもいいのではないかと思います。

いじめに困ってるなら可能ならば自分がさっさと転校したほうが早いし楽だし幸せです。

むろん理屈からいえば被害を被っているのは自分だから向こうが転校、もしくは学校を追い出されるのが筋というのは正論です。
でも現実なかなかそうはなりません。
なぜなら証拠がなかったり、警察が介入しないからです。

ぶっちゃけて言うと一般社会では傷害や暴行、窃盗などで警察が出張ってくる案件が学校内というサンクチュアリでは単なるじゃれあいになってしまうということです。

勉強ができないのを他人のせいにしても成績はあがらないし、就職できない、給料があがらないのを世の中や会社のせいにしたってどうしようもないということなのです。

世の中を変えたいのならば立候補して当選して政治家になり自分の思う政策を立案し実行するのが早道です。

人には思考の癖みたいなものがあります。
善人であればつい人に親切にしてしまうとかおせっかいをやいてしまうとか。
善人者気質とでもいうのでしょうか。
性善説で物事をとらえる人です。

性善人では性悪人に勝てません。
例えば金持ちは良い人そうに見えるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。
それだけだとすべて騙されて全財産を失ってしまいますから。
ゆえにもっとも性悪人に近いとも言えます。

鬱など精神病にかかりやすい人のなかにはこういった精神構造や認知の癖などがあることも多いと思います。

いわゆる完璧主義だったり他人の目を気にしすぎたりといったところです。
そうやってストレスをためこんで限界を超えたら鬱などの精神病です。

これもつまるところ自己防御反応です。
風邪を引いたらウイルスを追い出すために熱が出るように。
自らがこれ以上ストレスを感じないように精神のスリープモードに入っちゃうのではないでしょうか。

僕が気掛けているのはなるべく人に親切にしないってことです。
僕も鬼ではないので目の前で人が倒れていたら110番したり助けたりはするでしょうが、余計なことは基本無視です。
そうやって意識すると、けっこう人間ってやらなくていいことをしてます。

人脈が命って言う人は別でしょうが、僕なんてなるべくなら必要以上の関係は持ちたくありません。
なぜなら関係が多くなるほどエントロピーも増大していろんなリスクも高まるからです。